キャンプツーリングに行きたくない
キャンプツーリングに全然行きたくない、たぶん行かない。
テントと寝袋、着替えにバーナー。荷造りはもう終わってる。
人生5回目のキャンプツーリングの準備。慣れたもの。
でも行きたくない。
面倒くさくなったわけじゃない。たぶん。
同行者がいるわけじゃないし、気楽なはず。
ただ荷物が重いとか高速がどうとかタイヤ怖いとか、何かにつけて行かない理由を探してる。
なんでだろう。
真っ先に思い浮かぶのは課題があること。
今月末までに内定先の入社前研修、それから論文の修正、あとレポート1本とパワポ1つ。
なにかと〆切に追われてる。
でもこれはたぶん違う。
どうせギリギリまでやらないしどうにかなる。
つぎに考えつくのはご時世のこと。今回のキャンプツーリングも関西を出る。
悪意を向けられることに極端に弱い。他県ナンバー狩りじゃないけど、想像して不安ばかり募らせてる。
トイレに行きたいからコンビニ寄る、お風呂入りにスーパー銭湯へ、食料買いにスーパーへ、キャンプツーリング中の色んな場面、いつだって気を使わなくちゃいけない。
今年は閉まってるキャンプ場も多い。
地方都市ならまだしも、キャンプ場のあるような田舎で大してお金を落とさない神戸ナンバーのキャンプツーリングはきっと歓迎されない。
本当に行ってもいいんだろうか。
不安もあれば、自分が変わったところもある。
まず去年までと比べてものにならないほどお金がある。
gotoもあるし2週間毎日ビジホ泊まったところで痛くも痒くもない。
友人と良い旅館に泊まるツーリングを組んだ。めちゃくちゃ楽しみ。
去年までは無料のキャンプ場探してずっとgoogleマップ眺めてたけど今は全然楽しくない。
毎日毎日無料のキャンプ場までとにかく走って距離稼いで、もしかしてあれってお金がないから楽しかったんじゃないのか。
そして最後に、たぶんこれが一番核心に近い。
人の心を取り戻して、心が歳を取った。
最近になって観光を楽しむ旅行の仕方を覚えた。
他人と一緒に何かを見てまわって感想を共有するという面白さを知った。
そしてただただ一人で知らない土地を走り、知らない土地で寝るという行為を面白いと感じなくなった。
これは「俺今お酒飲んでるw」「飲み会でイッキしちゃってるw」みたいな、"飲酒という行為そのもの"をおもしろいと思う感覚がなくなったことと似てる。
俺ももう少し若ければ、キャッキャ言いながら直缶してたかもしれない。
その年でそれ、そろそろアブナいんじゃね?という心の抑止力の芽ばえ。
良い歳して若ぶってるだせぇおっさんにはなりたくないという気持ちが、自分の中で楽しいと思うことのうち「俺こんなことしちゃってるw」の類を全滅させようとしている。
***
今回は日程的にタイトだからじっくり焚火して料理するような豊かなキャンプが出来るわけじゃなさそう。
何しにキャンプするんだろう、何しにツーリングするんだろう。
ぼんやり考えているとなんとなくピンときた。
「行って何かがしたい」という考えと、キャンプツーリングとの相性がとにかく悪い
今までしてきたキャンプツーリングはとにかく走って景色見て、着いた先でのんびりして寝る。
でも今回は人の心を取り戻しつつあるし、お金にも余裕がある。
行った先で夕日見ながら読書したいとか、あそこのご飯食べたいとか、観光したいとか、考えれば考えるほど煮詰まっていく。
違う。
日常から離れて、自由にどこにでも行けるバイクで、着いた先でもぼやっと考えごとしながらなんとなく過ごすのがキャンプツーリングだろ。
求めれば求めるほど高速道路をクルマで走るだけでよくなる。移動自体の意味がほとんどないから。
たった一人で雨に打たれたり太陽に照らされたりしながらただひたすら走る苦行を選んだくせして。
そんなシャバいものキャンプツーリングに求めるな。
***
ここまで書きながら、今までのキャンプツーリングは「日本の端っこ見てみたい。」「水平線に沈む夕日が見てみたい。」とかそういうぼんやりした好奇心を理由に走り出していたことを思い出す。
結局自分の原動力は「おもしろそうだから」で、意味を求め始めると途端にダサくてつまんないことに感じ始めるんじゃないか。
愉快犯じゃん。
***
就職で上京する前に、西日本で行ったことない県に行っておきたい。
今回のキャンプツーリングのテーマだった。
バイクに乗り始めて5年。行ってみたいと思わなかった県が残り、行っておきたいと義務感でツーリングを計画した。
行かないことに決めて、改めて地図を眺める。
おもしろそうなところが見つかったら、何も考えずすぐに出発してしまおう。
荷造りはもう終わってる。